エンディングサポート事業の課題 経営基盤と経済的弱者の利用
毎日新聞WEBで本日、記事「最期まで安心できる『おひとりさま』の身支度とは」が掲載された。生前契約やエンディングサポートなど呼び名は多数あるが、死後は葬儀や納骨、死後事務委任を請け負い、生前は入院や施設入居時の身元保証、認知症に備えての任意後見契約を結ぶといったことを主たる業務とする事業についてだ。生涯非婚者の増加、少子高齢化のなかで近代家族が変容し、家族の個人化が進む。その中で、必然的に求められる事業だと私は考え、拙著「終活難民 あなたは誰に送ってもらえますか」(2014、平凡社新書)でも期待を記した。
人と人とを紡ぐ大切な事業
記事をお読みいただけると感じていただけると思うのだが、この事業は人と人とを紡ぐ可能性をもったものだと考えている。会員同士の生前の交流を企画する団体もある。社会的排除を受けている人に手を差し伸べる団体もある。将来同じ合祀墓などに入る人たちが生前から交流する「墓友」同様、死を起点とした集活の一環だと思う。だが、一方で破綻した日本ライフ協会のような団体もある。つらいのは、この業態がビジネスとして成り立つことは極めて難しいという点だ。あと、経済的弱者が利用しにくい、という点が大きな課題としてある。
やはり預託金管理には公的規制を
契約者がいつ亡くなるかはわからない。明日かもしれないし、30年後かもしれない。契約履行がいつかわからなくても、それまで事業体を存続させるためには、事務費用や人件費など安定的な収入が必要だ。本来なら高額な会費や利用料が必要な事業だ。だが、高額にすれば、必要とする人の手に届かないというジレンマ。たとえば、こうした事業の老舗中の老舗、「りすシステム」では遺贈寄付が大きな支えになっている。利用者に親身に向き合う中で、時折、遺産をりすに託す人たちがいる。この額が大きいのだ。もちろん、寄付を強請するなどはしていない。
死後の安心がなく、困っている人を支えたいという思いから始まった事業を、思いをもったお金が支える。まさに遺贈寄付の意義がいかんなく発揮されている事例だ。だが、やはり経営体として、いつ入るかわからない「臨時収入」に頼ることの危険は指摘しておく必要がある。どうすればよいのかは団体の性格や規模によると思う。正直、これで万事解決などという方法は思いつかない。
だからこそ、やはり預託金の管理に関してだけは国がかかわるべきだと考える。認可制か届出制かは別にして、事業者を公に監督し、預託金の管理だけはしっかりと規制を設けるべきだろう。必ず信託など別の財布に入れることを義務付けるのだ。
都道府県社協で保険を担えないか
また、預託金を払えない経済的弱者も利用できるようにするためには、専用の保険が考えられてしかるべきだ。亡くなったら、死後事務のための費用などを賄うために団体に保険金が支払われる仕組み。すでに一部あるにはあるのだが、経済的弱者は身体にも問題をかかえるケースが多く、加入審査ではじかれてしまう場合が多いと聞く。例えばだが、都道府県単位の社会福祉協議会などがこうした保険にかかわることができないものだろうか。市区町村ではとても無理でも、ある程度のリスクを都道府県単位でなら負えるのではないか。
あとはやはり自治体の出番になるように思う。多くの自治体は政教分離を建前に、エンディングステージへの関与をさぼってきた。だが、死後の安心まで含めてこそ福祉。まさにゆりかごから墓場まで、住民が安心できる環境を整えてこそ、福祉といえる。家族機能が大きく変化したいまだからこそ、その必要性がより増していると考える。毎日新聞の連載で次回は、自治体の取り組みを紹介する予定だ。
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