WITH&AFTERコロナ時代 「引き算」の生き方と「祈り」こそ
新型コロナウイルスのパンデミックは、いつかは収束していく。その時、私たちはもう「beforeコロナ」の生き方には戻らないだろう。オンラインによる会話、テレワークの普及といった変化はもちろん、死生観の変化といってもいい、もっと深い、本質的なところで生き方が変容し始めていると考える。「with&afterコロナ時代」には、「引き算」の生き方こそが求められているのではないか。その生き方を支えるのが「祈り」なのではないか。
はかない命 無常
いま私たちは日々、感染の恐怖におびえている。死を恐れていると言い換えてもいい。beforeコロナ時代だってもちろん、人は死すべき存在で、いつ何時死を迎えるかわからない、と頭では認識していた。だが、それはあくまで自分ではない誰か、「いま」ではなく「いつか」で、遠い物語だと思い込むことで日々を過ごしていた。それが多くの人たちの生き方だったろう。
だが、いまは違う。「誰か」ではない自分がいつ何時、感染してもおかしくない状況だ。しかも、感染が、志村けんさんのように突然、人生の幕を引いてしまうことを知った。死と隣り合わせの生という、古来変わらぬ命のはかなさと恐怖を日々、感じざるおえない。ひとことでいえば「無常」だ。
「さようなら」と覚悟を持って口にする
東日本大震災や福島第一原発事故で、私たちは「日常」がいきなり終わること、断絶することがあるのだと経験した。だが、たとえ災害に遭っても生きていれば「底」から這いあがるようにこれまでの日常を再び生み出せるはずだという希望があった。パンデミックはじわじわと、長い時間にわたって私たちの日常を蝕み、日常を継続することを難しくしている。全人類にそのことをこれでもかと日々、突き付けている。
友人らと会って語らい、過ごす。お店に行けばあふれるようにモノがあって買い物ができる。仕事が終わって赤提灯でホッと一杯。そんな日常は決して当たり前のものではなかった。「また明日ね」「今度、会おう」はもう二度とこない日なのかもしれないことを私たちは知った。「さようなら」はもともと「左様ならば」と、それまでの行動、経験を止揚し、諦念と覚悟をもって次の行為に移行するさいのことばが語源だ。まさに、覚悟を持って「さようなら」を口にする日常を私たちは知ったといってもよいだろう。
引き算の生き方とは
私たちは死と共に生きる時代を迎えた。それがwithコロナなのだ。beforeコロナでは、明日は必ず訪れて、未来には希望を見ることもできた。だが、いまは違う。そんな時代に求められる生き方とは「引き算」の生き方ではないだろうか。
引き算とは、一言でいえば「大切なものは何か」を考えることだ。あれもこれもではなく、「いま本当にすべきこと」「いまだからできること」を絞り込む。これまで自分が大切だと思ってきたことに優先順位をつけて、場合によっては諦めていくこと。諦念と共に生きる。辛いかもしれないが、そんな生き方こそが求められるのではないだろうか。
自分という存在を俯瞰する視点を得るための手段であり目的が祈り
同時に、死の恐怖と共に生きる時代に必要なのは「祈り」だと思っている。物質的にいくら充足しても、死の恐怖、苦は克服できない。恐怖に精神が弱ってしまうことはある。不安におびえてしまうことはある。だれも経験したことのない死に向き合うとき、人が最後にすがれるのは「祈り」しかない。
別に特定の宗教や宗派や、特定の祈り方のことではない。人の手に余る「何か」に直面したとき、人は自ずと大いなる存在にすがる。それは神様だったり、仏様だったり、遠藤周作「深い河」流にいえば「玉ねぎ」かもしれない。その「すがる」気持ちを、言葉にするにせよしないにせよ表現すること、切に思うことが祈りだ。一つの生命体としての自分という存在を俯瞰する大きな視点を得るための手段であり目的が祈りなのだ、といってもいいかもしれない。
「終活」は格段に重い言葉に
生のはかなさ、有限性を意識した日常。死生観が自ずと問われる日常。死のために備えるというと、「終活」という言葉が思い浮かぶ。だが、いまや終活という言葉は格段に重く、とてもリアリティを伴った、手触り感のあるものに変容したと思う。「左様ならば」の覚悟が伴う。軽々に口にできない。
14世紀にヨーロッパで黒死病(ペスト)が大流行した後、始まったのがルネサンスだった。パンデミックがあって、大きな価値観の変化、生き方の変化が背景にあったことは間違いないだろう。冒頭から記しているように、withコロナの時代に私たちの生き方は否応なく変容している。afterコロナに、私たちはどんな社会を迎えるのか。おそらくルネサンスのような大きな変化が常態化した社会になることは間違いない。大変な時代、尋常ならざる事態だからこそ、せめて、迎える未来が人類にとってよきものであるようにと切に願う。
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